魂占い

昔、水族館で見たイワシに惹かれた理由は、

仲間と一緒に、すごい勢いで泳いでいる姿が、

生きていることに意味を見出そうなんてせずに、体が動くままに、地球の流動を全身全霊でただ表現しているだけ、ただ生きているだけのように見えたから。



意味なんてないけど、意味欲しいな〜って、

何の?って聞かれたら

何のだろ?ってくらい、漠然と思ってた。

二十歳くらいの時

バイト終わりの夜道とか、

そんなとりとめのないことを考えるのにはうってつけで、ふと考えてはすぐに忘れて。

スケジュール帳が黒くなっていくことに、意味がないことの虚しさを紛らわしてた。



日常の中のたいていの出来事は、snsに投稿するほどでもない、何気ないもので、でも自分にとっては、なにか意味のある事のように感じて、スマホで切り取ったなんでもない日常の写真を、投稿しようとして、やっぱりやめて、下書きだけが溜まっていく。




私は何をして生きようかなんて

考える暇もないくらい

生きるのに必死で生きたいなあ

もう初めから

あなたは飛んでいなさい

あなたは泳いでいなさい

って

定められて生きていけたら

愛すること愛されることなど望まずに

生きていけたら


な!


とか、そんなことを、誰かに守られた贅沢なご身分で考えていた二十歳くらいの時の自分が出てきて、かげした真由子さんの「魂占い」を読んでた。



当時の自分の心にあったのは、

何も変わらないような気がする恐怖。



終わることは怖くなくて、

新しい始まりがいつまでも来ない方が怖かった。



変わらないことがないなんてことは無いってわかるけど、そんな気がして、焦燥感とか疎外感とかが、ちらちら心に出てきてた。

楽しく幸せに暮らしているけど、なんか退屈で心に空洞があるように感じていたのは、自分と繋がって生きる意味を見出せていなかったからかな。





もう5年も前のそんな私が、この本は私が読むから!と言わんばかりに、出てきた。読んで喜んでる。



エピローグを読んで納得。



日本は若者の死因で1番多いのが自死

著者の魂の想いに共鳴して

なにか行動していけたらと思う。



大切なこと

「自分であろうとすること」

「生きる意味」

そのヒントがあった。





読みながらモンテーニュのこの言葉を思い出してた。

とても好きな言葉。



「この世でもっとも素晴らしいのは、

自分は自分のものと知ることである」




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レジ袋から見える海

 

切り取った光景はキレイで、嬉しくなって、魚屋へ行くたび、呑気に写真を撮った。

道端に自転車を止めて、片手にカメラ、片手にレジ袋を持って、太陽の光で撮影する。

持ち帰った魚は晩ご飯。ゴミになった袋は燃やされるのか、海を漂うのか。

切り取った光景の裏側は写らない。

海がプラスチックだらけなこと、気候変動が加速していること、私は知ってる。

海を漂うそれが私のゴミだって考えない。

目の前の日常はいたって平和、自分は暴力を振るうような人間じゃない。

都合の悪い現実をシャットアウトする無慈悲さで自分を守る。

だから、うっかり、しっかり、地球を傷つけていても、

目の前の光景は、ただキレイに見えた。

 

 

 

 

 

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目の前に見えている世界だけじゃなくて、

見えていない世界のことも考えたい。

この光景をキレイだと思って撮り始めた当初、

海洋ゴミ問題がどれだけ深刻かなんて想像もしなかった。

目の前の光景が美しく見えて、写真を撮った。

でも、見えていないどこかでは、

この写真に写っているプラスチックで汚されている場所が確かにある。

 

海に既に存在しているプラスチックゴミは1億5,000万トン

そこにさらに年間800万トンが新たに流れてるんだって

海洋プラスチック問題について |WWFジャパン

 

 

日常の中の美しさや豊かさを信じていたいけれど、

一度疑って、

見えていない世界を想像することで、

そこに破壊や搾取のない、

思いやりでできた本当の美しさ、豊かさに変えていきたいと思う。

 

暮らしの中のひとコマに、

遠い海の姿を見出して、

私たちの生活が、選択のひとつひとつが、心の有り様が、

この地球に投影されて、表現されていることを

表現してみたかった。

 

 

 

 

戦争もそうだと思う。

 

意地悪なことを考えていないか

必要以上のものを求めていないか

他人の権利を侵害していないか

選ぶ電気や食べ物、政治が誰かの命や豊かな自然を脅かしていないか

 

聖人じゃないから、

全てを見張って、完璧にするなんて難しいけど、

自分の中から戦争をなくして、

自分の中から平和を始めたい。

 

 

「自分の心地よさ、心の安定が一番大事だよ」

そう言って沢山の見えない暴力を許してきてしまったかもしれない。

自分を守るためになら悪者にもなれるくらい

残酷な自分が、自分の中にはいる。

 

だって、

でも、

でも、

でも、

でも、

でも、

 

だからこそ

残酷な自分を許せる残酷な自分がいることが希望なのかもしれない

こんな自分を認めてまっると愛して許して

許して

許すことができるなら

許しあうことも。

 

許すって結構残酷だけど

許すってすごく平和だから

 

許して自分の中に平和を作って

平和を始めていけたら。。

 

 

 

簡単に答えを出せるようなことではないけれど、

「NO!」と言うのと同時に、

何を望んでいるのかも言葉にしていきたい。

平和のことをちゃんと考えたい。

 

 

 

「レジ袋から見える海」は、

2020年に制作して、写真新世紀や1_WALLに応募して落選した写真たち。

コンセプトはいいけど、写真の技術が追いついていないというコメントをもらって

あ〜やっぱりそうか〜とか適当に自分の中で折り合いつけて

写真家になることを諦めちゃった。

沢山お世話になった写真の学校も何も言わずに行かなくなって、

写真もどこにも出せないまま、

全部中途半端だった。

 

 

エコしたい人なのに、プラスチック消費しまくってて恥ずかしくて

見せるのを憚られる気持ちが少しあって、、、

みたいなところもあるけれど、

隠したってこれが現実。

消費したことは真実。泣

 

 

 

同窓生が出版したり個展したりしてて

いいな〜って思う。

すごく素敵な写真集が出来上がってて、

極めれなかった、逃げちゃった私の写真も

誰かに見てもらいたいって思っちゃった。

 

 

 

 

 

見てくれてありがとう。

夢日記 2022.1.5

 

スマホをさわりながら、すごく眠たくて、

一瞬目をつむってしまった隙に、変なボタンを押した。

「お、寝てた」と思ってスマホの画面を見ると、

自分のインスタのストーリーに大量の写真と動画が投稿されている。

 

え、え、え、え!と、

少しパニックになりながら、何をストーリーに上げてしまったのかチェックする。

 

自分の中で、「これはひとには見せられない!」「見せるほどでもない」に分類されるものばかりで、顔が熱くなってくる。

早く削除しなければ!という気持ちはあるのに、動画と写真がちょっと面白くて見てしまう。

お片付けの途中で、「こんなのがあったのか」と手を止めて思い出に浸ってしまうような感じ。

 

五枚も重ね着をしてぷくぷくに着膨れしたファンシーなカラーの寝間着姿で自分が何か話している動画。

妹と一緒に双子の黒い子グマを面倒みていた時に公園で撮った写真。

公園の遊具の上に乗っている妹を撮ったちょっとノスタルジックでエモい写真。

自分の年齢を40歳か50歳くらいだと思いながらスタスタ歩いて何か喋っている80歳の祖母の動画。

マックシェイクを飲んでいる動画。

木のカケラから白いアリが出てくる動画。

 

他にもたくさん、ストーリー上部に表示されるゲージの一つ一つが点になるくらいの量。

多すぎて後の方の動画はアップが追いついていない。アップされないうちに消した。

 


着膨れファンシー寝間着姿、面白いからいっかな、でもやっぱ恥ずかしいから消す。

双子の子グマ、ちょっと自慢したいからこのまま。

妹の写真、なかなかよく撮れてるからこのまま。

祖母の動画、おばあちゃんの尊厳に関わるから消す。

マックシェイク、使い捨てプラスチックが恥ずかしい〜から消す。

白いアリ、面白くないから消す。

 

 


ああ、恥ずかしい恥ずかしい

と思ってるうちに目が覚めた。


 

なんだったんだろこの夢は。

隠してるわけではないけど見せていないところが晒される夢。

もっとオープンになっちゃいなよって言ってる?


 

 

 

(目が覚めた時、寝ぼける頭で、ああ双子の子グマ懐かしい・・・とか思ったけどそんな経験は実際にはなかったな。夢に出てきた動画と写真も現実には一枚もない。無いものが見れて得した気分。この夢を見る前日、超久しぶりにマックシェイク飲んだんだ。ソフトクリームを飲んでる感じだった。)

夢日記 2022.1.2

あ、今日から制服は夏服やったっけ!?!?

と朝、目が覚めるのと同時に思う。

誰かに教えてもらおうとLINEを開く。

グループラインで聞いた方が、同じように困っている人のためにもなるかな〜

と思いつつ、結局わかっていそうな友達に個人ラインをした。

すると、イエスかノーで答えてくれたらいいのに、すごい解釈に困る返事がきた。

意味がわからなくて迷った挙句、夏服を選んだ。

 

登校中、夏服の人と冬服の人、両方見かけた。

「あ、今日から夏服なんだね」という雰囲気があるからたぶん夏服で正解だったけど、

冬服を着ている人たちはどうってことないというような顔をしている。

別に間違えてもよかったのか、こんなことにこだわって恥ずかしいな、と思った。

 

その登校中、ライオンみたいなたてがみにさせられている散歩中の白い犬を見た。

 

1時間目が終わる頃に、2時間目が体育だということを知った。

体操服、持ってきていない。

どうしようか考えて、

スカートの下に体操服のズボンは履いているから、

上はカッターシャツの下に着ている鉄コン筋クリートのTシャツでいっか、

バレないだろう。

と思ったけど、一応先生にそれでいいか聞きに行くと、

先生が同じTシャツを着ていた。

同じTシャツだったから先生どことなく恥ずかしそうで、それが理由かはわからないけど、

Tシャツではダメだった。

じゃあ、体操服の長袖のジャージを誰かに借りよう、今日は暑いから使わない人いるだろう、

と思って、友達に尋ねたら、鞄からジャージを出してくれた。

でもその出してくれたジャージが初めてみるもので、その時に体操服がリニューアルされていることを知った。

私がスカートの下に履いている体操服のズボンは赤紫色の古いタイプで、友達が貸してくれた新しいデザインの体操服は青紫色だった。

チグハグになっちゃうなと思ったけど、今朝のことを思い出して、すぐにまあいっかと思えた。

 

その日、下がりやすい靴下を履いていて、というか、スネまでしかないのに無理やり膝下まで伸ばして履いていて、

それはなぜかというと、毛を全く剃っていなかったからで、何度も何度も靴下が下がるのを気にして、下がる度に上げた。

 

放課後、友達がグランドピアノの底上げをする!とはりきっていて、とてもワクワクしているから、どういうことだろうと思って、家について行ってその様子を見ることにした。

家に着くと、逆さまに置かれたグランドピアノと、丁度グランドピアノの4本の脚の間に収まりそうな大きさのダイニングテーブルが用意されていた。

そのダイニングテーブルの上に、グランドピアノを被せるように置く。

すると、ダイニングテーブルの方が脚が長いから、グランドピアノの脚が少し床から浮いている状態になった。

なるほど、これが底上げか、と思って友達を見ると、すごく満足げな顔をしていた。

他人には理解できない、その人だけの絶妙な心地よさというものがあるのだな。と思った。

 

 

 

めっちゃ牡牛座だったわたし

わたしは太陽星座が牡牛座で、

12星座は順番があるのだけど、その中で2番目の牡牛座は所有することがテーマのサイン。

その所有は自身の肉体から始まる。

 

(ちなみに1番目の牡羊座は存在することがテーマで、

まさに地球にやってきた魂そのもの。生命力。

さあわたしはこれから生まれます!始めます!という感じ。)

 

魂は肉体を得て、五感であらゆるものを確かめるのが楽しくて仕方ない。

皮ふを暖め水面に反射する陽の光。指の隙間を通り過ぎていったかと思えば木々を鳴らしている風。肌触りのいい服に美味しい食べ物。いつも変わらない、五感が満たされ落ち着くものに囲まれていることを魂は望んでいる。本当の豊かさと、本当の美しさを追い求めて。

 

牡牛座はこういう性質を持っていて、太陽・水星・火星が牡牛座のわたしは

結構かなり牡牛座が強い。

そんなわたしが、星を学び始める前にインスタで投稿していた内容がめっちゃ牡牛座だった。

 

↓少し加筆修正

 

自分にとっての豊かさを考えた時、

それは自分にとってのあたりまえが、特別なことなんかにならずに、

あたりまえに大好きな人が隣にいて

あたりまえに祖母に会いに行けて

あたりまえに友達と遊べて

あたりまえに美味しいごはんが食べれて

あたりまえに野菜が育って

あたりまえに雨が降って

あたりまえに雨は止んで

あたりまえに空は青くて

あたりまえが変わらずにあたりまえであることが豊かさだし、安心できる。

 

気候崩壊やパンデミック

「普通だったことが、特別なことになってしまって、大切なことに気づけた」

ってよく聞く台詞だけど、

あたりまえがあたりまえじゃ無くなって、

日々の中の何でもない世界の美しさに、

いちいち大袈裟に感動して、心に染みるようなことになるのかもしれない。

 

そう思って、普通が特別になるなんて、絶対嫌だと思っていたけど、

それは自分のエゴだったと今では思う。

 

そう思ったのはあることを思い出したからで、

大学生の時、アルバイトで美術展の会場のスタッフをしていた時に、

ある日本画家の先生に出会って、たしか大乗仏教を信仰していたその方が

「無を前提に考える」っていうお話をしてくれた。

 

何かが存在するのはとても難しいことで、有り難いこと。

「ありがとう」ってそういうこと

 

種が土に根を伸ばして、発芽して、そこに雨が降ること、太陽の光があること、空気があること、なにもかもあたりまえじゃなくて、有り難い奇跡なんだって思う。

 

この考えを心に持っているだけでとても豊かになる。

ものを使い捨てることや大量消費することから抜け出せる。

 

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一般的に牡牛座は欲深くて物への執着心が強いと言われていて、

言葉だけ見ると、なんかドロドロした感じでやだなあと思っていたけど、

牡牛座の性質を纏いたくて纏った魂と、どっしり地に足のついた牛を想像すると、

なんかもっと清々しい言葉で表現したい。

欲望に素直で「心地いいこっちの方が好き」「これは嫌い」がはっきりしていて、

大好きな物は大切に長く使う。そんな感じ。

 

まさにわたしは数年前に割ってしまった陶器のお皿をいまだに捨てずに置いている。(これはかなり執着心が強いな?)

金継ぎでなおそうと、本を買ったはいいけど始めてない。

スロースターターなのも牡牛座の特徴だったね。

 

 

 

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エネルギーを内側に向けて、いるものいらないものを清算して、

葉を落として手放して、静かに

目を瞑る桜の蕾の一つ一つは、瞑想している菩薩のようだなって

思ったよ

 

わたしもこんな風に冬を過ごしたい

 

喜びと祝福のエネルギーを解き放つ時、