めっちゃ牡牛座だったわたし
わたしは太陽星座が牡牛座で、
12星座は順番があるのだけど、その中で2番目の牡牛座は所有することがテーマのサイン。
その所有は自身の肉体から始まる。
(ちなみに1番目の牡羊座は存在することがテーマで、
まさに地球にやってきた魂そのもの。生命力。
さあわたしはこれから生まれます!始めます!という感じ。)
魂は肉体を得て、五感であらゆるものを確かめるのが楽しくて仕方ない。
皮ふを暖め水面に反射する陽の光。指の隙間を通り過ぎていったかと思えば木々を鳴らしている風。肌触りのいい服に美味しい食べ物。いつも変わらない、五感が満たされ落ち着くものに囲まれていることを魂は望んでいる。本当の豊かさと、本当の美しさを追い求めて。
牡牛座はこういう性質を持っていて、太陽・水星・火星が牡牛座のわたしは
結構かなり牡牛座が強い。
そんなわたしが、星を学び始める前にインスタで投稿していた内容がめっちゃ牡牛座だった。
↓少し加筆修正
自分にとっての豊かさを考えた時、
それは自分にとってのあたりまえが、特別なことなんかにならずに、
あたりまえに大好きな人が隣にいて
あたりまえに祖母に会いに行けて
あたりまえに友達と遊べて
あたりまえに美味しいごはんが食べれて
あたりまえに野菜が育って
あたりまえに雨が降って
あたりまえに雨は止んで
あたりまえに空は青くて
あたりまえが変わらずにあたりまえであることが豊かさだし、安心できる。
気候崩壊やパンデミックで
「普通だったことが、特別なことになってしまって、大切なことに気づけた」
ってよく聞く台詞だけど、
あたりまえがあたりまえじゃ無くなって、
日々の中の何でもない世界の美しさに、
いちいち大袈裟に感動して、心に染みるようなことになるのかもしれない。
そう思って、普通が特別になるなんて、絶対嫌だと思っていたけど、
それは自分のエゴだったと今では思う。
そう思ったのはあることを思い出したからで、
大学生の時、アルバイトで美術展の会場のスタッフをしていた時に、
ある日本画家の先生に出会って、たしか大乗仏教を信仰していたその方が
「無を前提に考える」っていうお話をしてくれた。
何かが存在するのはとても難しいことで、有り難いこと。
「ありがとう」ってそういうこと
種が土に根を伸ばして、発芽して、そこに雨が降ること、太陽の光があること、空気があること、なにもかもあたりまえじゃなくて、有り難い奇跡なんだって思う。
この考えを心に持っているだけでとても豊かになる。
ものを使い捨てることや大量消費することから抜け出せる。
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一般的に牡牛座は欲深くて物への執着心が強いと言われていて、
言葉だけ見ると、なんかドロドロした感じでやだなあと思っていたけど、
牡牛座の性質を纏いたくて纏った魂と、どっしり地に足のついた牛を想像すると、
なんかもっと清々しい言葉で表現したい。
欲望に素直で「心地いいこっちの方が好き」「これは嫌い」がはっきりしていて、
大好きな物は大切に長く使う。そんな感じ。
まさにわたしは数年前に割ってしまった陶器のお皿をいまだに捨てずに置いている。(これはかなり執着心が強いな?)
金継ぎでなおそうと、本を買ったはいいけど始めてない。
スロースターターなのも牡牛座の特徴だったね。